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【6冊目】ただ、一さいは過ぎて行きます/転落か、解放か


 サン=テグジュペリの「星の王子さま」を書評したとき、

”でもそんなの人間じゃない。キノコだ!”

の言葉から、つまならない大人が如何に人間で無いか、を書いた。

 今回、紹介する物語もそんな「人で無くなった人」がテーマになっている。

 皆さんご存知、太宰治『人間失格』だ。

 以下に青空文庫へのリンクを記載する。

 太宰治 人間失格 - 青空文庫

 今更、この作品についてあらすじの説明をする必要を感じないため、早速、私が『人間失格』を読んで、心に響いた言葉について考えたい。

 ”ただ、一さいは過ぎて行きます。 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。 ただ、一さいは過ぎて行きます。”(p.149)
 これが今回、心に響いた言葉である。

 ただ一切は過ぎて行く。この言葉が目に入った瞬間、主人公「大庭葉蔵」の人生の様々な場面が走馬灯のように駆け巡った。それは転落、そのものだ。

 学校では人気者であった少年時代、堀木とともに豪遊に耽る青年時代。葉蔵は人間を疑い恐れながらも、上手くお道化ることができた。

 その後、様々な女性との出会いを切っ掛けとし、葉蔵の人生は無惨なもの屁と変貌して行く。

 最終的に、葉蔵はモルヒネ中毒となり、「脳病院」や「村はずれの茅屋」という人間社会とは隔絶された空間で過ごすこととなる。

 ”ただ、一さいは過ぎて行きます。”
 この言葉は「盛者必衰」を表すように思える。

 しかし、人間失格となり、社会から隔絶された後の葉蔵にどこか「落ち着き」のようなものを感じる。

 父親の死後、

”苦悩する能力をさえ失いました。”

と葉蔵は語る。

 さらに

”いまは自分には、幸福も不幸もありません。”

と言う。

 人間として最期を迎えたその後の静けさなのかもしれない。

 私はこれがある意味で、解決や解放された状況になっているのではないか、と考える。
 
 そう考えるなら、

 ”ただ、一さいは過ぎて行きます。”

、この言葉は「時間が解決してくれる」という意味にも思えてくる。

 だが、「人間の世界のたったひとつの真理」としてどちらもピンと来ない。

 「人間の世界」と言っているのだから、もしかすると、葉蔵を除く人々を対象とした真理なのか。

 とにかく、『人間失格』、まだまだ読み込む価値はありそうだ。

 読んでいない方は是非、御一読を。


人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))

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