【4冊目】でもそんなの人間じゃない。キノコだ! 近頃は、大人になりたくない子供が増えているらしい。ここで言う大人とはきっと「つまらない大人」「忙しい大人」「頭の固い大人」、つまり、どうしても憧れられない、そんな大人のことだろう。そんなものその大人自身、なりたくなかっただろうし、ひょっとすると、本人はそんな大人になってしまっていることに気が付いてすらいないかもしれない。 恐ろしい話だが、「つまらない大人」には、なりたく無くてもなってしまうのだ。 今回紹介するサン=テグジュペリの「星の王子さま」には、そんな大人たちが何人も登場する。 作者は最初に、 ”この本を、こうしてひとりのおとなにささげたことを、子どものみなさんは許してほしい。”(p.6) としている。この物語が作者の親友レオン・ヴェルトに捧げたものであることを、子供達に断っているの一文なのだが、ここから「星の王子さま」が子供を対象とした作品であることも伺える。 では、サン=テグジュペリはこの物語を通して子供たちに何を伝えたかったのだろうか。 それは「子供のときの感性を大切にしなさい」ということであるように思う。言い換えれば、「つまらない大人にはなるなよ」ということだ。 しかし、子供に対して「子供のとき」というものが如何程に大切かを説明するのは至難の業である。多くの場合、大人になり手遅れになってしまってから、ようやくその大切さに気づくのだ。人間は数年、数十年前を振り返り評価できても、昨日に対して同じことができない。 この「子供のときの感性を大切にしなさい」というメッセージを子供達にわかりやすく伝えるため、作者は様々な登場人物を用意している。メインとなるのは、子供の感性を持つ「王子さま」、子供と大人の狭間にいる「僕」、そして、つまらない「おとな」達である。その他、どれも魅力的なキャラクタばかりである。 物語の前半で、王子さまは色々な星を旅し、大人達に出会う。大人達は非常に滑稽に描写されている。大人がどれほどつまらない生き物であるか、子供達にも十分伝わるだろう。 そして、そんなつまらない大人と同じようなことを言う「僕」に対し、王子さまが言った ”でもそんなの人間じゃない。キノコだ!”(p.38) これが、今回、私の心に響いた言葉である。 子供の頃の感性、つまり、自由な感性を失った大人はもはや「人間じゃない」のである。極端に言えば、権力や名声、数字に縛られた大人、ルーチンワークに身を任せ考えることをやめた大人には「人間性」は無いのだ。 では、そんな人間性を失った大人は何者なのか。 そう、キノコなのだ。 ここで「なぜキノコなのか?」「キノコが象徴するものは?」と考えてみたくなる。が、しかし、それこそが不自由な大人の感性の表れかもしれない。キノコであることに深い意味を求めてはいけない。王子さまは、つまらない大人をキノコだと思った、ただそれだけなのだ。「人間じゃない=キノコ」、この間に途中式は存在しない。大人にはわかりにくいが、子供にはわかりやすい。 このセリフのあと、「僕」は王子さまの大切さ、尊さに気付き、ぎゅっと抱きしめる。「王子さま=子供の頃の感性」とも考えられる。しかし、残念ながら、これは大人の考え方である。そして、大人になりかけている「僕」も同じ考えを持っていたかもしれない。子供の感性を大切にしたく思い、それを抱きしめたのだろう。 王子さまと「僕」の行動や言動を「子供の感性」と「大人の考え方」とで対比して読むのも面白いかもしれない。まぁ、つまらない大人のする行為にあたるのだろうが。 物語の最後で王子さまは消え、「僕」は大人になってしまう。そして、読者(恐らくここでは大人も含んでいる)に対し「僕」は王子さまを見つけたら知らせてくれ、とお願いする。これも作者からの重要なメッセージのうちのひとつである。 自分は今、つまらない大人になっていないか。自由な感性を失っていないか。人間性を持っているのか。読後にはそんな疑問が浮かび上がる。 下手な啓発書よりも、考えさせられる力をもった物語であるように思う。 子供の頃に読んだことがある方にも、是非、もう一度読んでもらいたい。そして、考えてほしい。つまらない大人になっていないだろうか。 PR