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【10冊目】今のくらしがそうつらいわけじゃないよ/虜になる幸福、魅了される不幸




 特に意識して集めていた訳ではないのに、気が付けばその作家の作品の多くを揃えてしまっている・・・

 というような、自身でも気付かぬうちに虜になってしまった作家が私には何人か存在する。

 そのうちの一人が宮部みゆきだ。

 実を言うと、宮部氏の作品の中で、一番最初に何を読んだかどうも思い出せない。つまりは、いつから魅了されていたのかがわからない

 このように「意識してない」「記憶が残っていない」というと本当に魅了されているのか、と疑問に思う方も居られるだろう。

 しかし、魅了のされ方には色々あると私は考える。

 鮮明な思い出となって記憶に残り、いつまでも忘れられない。

 一般的な「魅了される」というのは、このような状態だろう。

 もう一方で、それほど気に留めていなかったが、よくよく考えると生活の一部、自分の一部になっていた。

 これも明らかに魅了のされていると言える。

 そして、私にとっての宮部氏は後者であったのだ。

 確かによくよく考えると、頻繁にではないが、しかし、定期的に私は宮部氏の作品を読んでいる。大袈裟ではなく、生活の一部と言えるのでは、と思う。

 今回紹介するのは、そんな宮部氏「心とろかすような」である。

 代表作「パーフェクトブルー」の続編だ。

 本書は表題作「心とろかすような」を初めとした5つの短編からなっている。

 このシリーズの特徴は何と言っても物語の語り手が犬だということだ。

 人間達(登場人物達)には伝わらないコミュニケーションを動物達は交わし、ストーリーが展開する。


 今回、心に響いた一文は5つのうちの書き下ろし「マサ、留守番する」にある。


 とある探偵事務所で飼われている主人公の犬・マサは、一人(一匹)で留守を任させる。

 その留守中に事件が発生し、それを知ったマサは深夜、家を抜け出し聞き込みを開始する。

 もちろん、聞き込みの相手は犬、猫といった動物である。

 その聞き込み相手の一匹に「ハラショウ」という名の雑種犬が登場する。

 実は、このハラショウは飼い主より虐待を受けており、以前よりマサはそのことに気付いていた。

 そして、その残酷な環境から逃がしてやろうと過去に何度か救出を試みたのだが、残念ながら失敗に終わっている。

 聞き込みの去り際、マサは「まともな暮らしができるようにしてやる。今の状況は不公平だからな」とハラショウに誓う。

 だが、ハラショウは

”「そうかい?だけどオレ、今のくらしがそうつらいわけじゃないよ。おっちゃんシンパイしないでよ」”(p.239)

と言うのである。

 このセリフに私は心を締め付けられた。

 本人は不幸を感じていないのだ。

 そして、本人が不幸を感じない分、こちらが不幸を感じてしまった。

 似たようなことは、人間同士でもよくある。

 例えば、恋に盲目となった者とそれをサイフと見なす者。

 例えば、努力に対する対価があまりにもアンバランスな仕事をする者。

 他者から見れば、どうしても搾取されているようにしか見えなくても、多くの場合、本人達はこう思っているのである。

 「今のくらしがそうつらいわけじゃない」

 不幸ではない、むしろ幸福である、という場合さえある。

 確かに、「不幸でない」という場合も含め、幸福の形は様々だと私は思う。

 しかし、このようなネガティブな幸福に対して私は疑問を抱かざるを得ない。

 これは正しい幸福なのか。

 健康な幸福なのか。

 いつの日か、目が覚めると同時に消えてしまう幸福ではないか。

 そして、残るのはゼロではなくマイナスではないだろうか。

 「私は大丈夫、十分に自分状況を俯瞰して捉えられる」と自信を持っている人も居るだろう。

 だかしかし、誰しもが、自身の幸福の、その歪で不安定な状態に気付けない可能性を持っている。

 なぜなら、人間は魅了されるからだ。

 魅了された相手が悪いと「自身でも気付かぬうちに虜になって」、せっせと搾取されに精を出すことになるのだ。

 魅了とは、素晴らしくもあり、恐ろしい。

 
 ハラショウの場合、同じ家で暮らしているメスのプードル(こちらはハラショウとは対照的に大切にされている)がいるのだが、彼女に一方的な憧れを持っていた。

 恐らく、ハラショウは彼女に魅了されており、その存在のために「今のくらし」に不幸を感じなかったのだろう。


 そして、物語は衝撃的な結末を迎える。

 気になった方は、是非、ご自身でその結末を確認して欲しい。


 私自身、現在、どちらかというと幸福を感じることが多い。

 しかし、その幸福も誰か他者の目から見れば、歪で不安定なのかもしれない。

 そのことに私自身気付く時は、虜になっていることに気付くときか、目が覚め不幸になったときなのかもしれない。


心とろかすような―マサの事件簿 (創元推理文庫)

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