【14冊目】バガボンド37/知恵の在り処 更新が滞って約一年。 なんて前回の更新で言っておきながら、今度は約10ヶ月の放置をかましてしまった。 「知的な本をうまくまとめないと!」と変な意識を持ち、その高いハードルを乗り越えようと苦労しているうちに腰が重くなってしまっていたようだ。大ジャンプしないと乗り越えられないハードルを最初から並べていたのでは、そりゃ続かない。飛び越えても、飛び越えても目の前に大きな障害だもの。 「まずは100冊」という目標を掲げてスタートしたこのブログ。それならば、まずはスムーズに100回乗り越えられるハードルを用意すべきだった。その100回の経験を生かし、次の100回で少しハードルを高くすればいいのだ。そんな単純な話だったのに、わかるのに随分時間がかかってしまった。そんなわけで、ハードルを低くしてもう一度スタートしてみようと思う。 低いハードルとして新たに「漫画」というジャンルを加えてみた。「低いハードル」というと怒られるかもしれないが、短時間で読めて、理解もしやすいので、ペース配分しやすいと思う。 ということで、最初の漫画は井上雄彦のバガボンド37だ。 自称井上雄彦ファンな私は、彼の絵の展覧会などが地元で行われると必ず訪れることにしている。記憶に新しいのはガウディとの企画だが、そこで感じられた井上氏の哲学はバガボンドにも大きく反映されていると思う。 歴史と言えるくらい大きなタイムスケールで考えた時、個人は米粒ほどの存在で、ひとりの人間が直接世界を変えることはほとんど不可能である。しかしながら、その人が世界に与えたわずかな影響が、巡り巡って100年後、1000年後には世界をひっくり返すようなものになっているかもしれない。そして、それは同時に100年前、1000年前の誰かの影響によって「今」が存在していることも説明している。大雑把にしか表現できないが、こういった膨大な時間から見た生命の営み、命のサイクルを私はバガボンドやガウディ展で感じた。 バガボンド37はその哲学が最も強く表現されているのではないかと思う。自然が作り出す生と死のサイクル、それに寄り添い生きる集落の人々。彼らの一員となって、ともに自然というものを学ぶ武蔵。逆に武蔵から強さを学ぶ人々。 次からは小倉編になるのか、モーニングは飛び飛びに読んでいるので、イマイチ次がどんな話かわからないが、楽しみである。 うーん、もっとラフに書きたい。 それでは。 PR